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にっき

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2012-03-27 M本の似非エッセイ(第2回)

_ アニメソングについて

僕はそんなにアニメをたくさん観る方ではないが、なぜかアニメソングは昔から好きで、音楽プレイヤーにもかなりの数のアニメソングが入っている。アニメは非常に有名なもの以外ほとんど観ていないが、曲を聴けば「ああ、あのアニメのOPか」とかなりの確率で当てることができる。

そして、幼い頃からそういった類の曲を聴き続けた賜物か、僕は最近ある法則を発見した。

説明しよう! すべてのアニメソングは、次の3つのタイプに分類できるのだ!

・「はじめてのチュウ」タイプ:愛らしさ、可愛らしさ、ほのぼのとした癒しを全面に押し出してくるもの。

・「勇気100%」タイプ:暗い気持ちを吹き飛ばしてくれるようなポジティブさに満ち溢れているもの。

・「アンパンマンのマーチ」タイプ:深いことを言って、聴く者に色々と考えさせるもの。

もちろん反論はいくらでもあるだろうが、僕はこの考察は案外的を得ているのではないかと多少自負している。

まあ、別に的外れならそれでもいい。だからといって音楽が楽しめなくなるものでもないのだから。

_ 犬派と猫派について

僕は猫派である。以上。

ちなみに僕は実家でミニチュアダックスフントを飼っている。四歳になってもいまだに芸一つこなせない、ちょっと馬鹿だがかわいい奴だ。彼と戯れるのが、実家に帰った時の数少ない楽しみになっている。

それでもやはり、僕は猫派なのだ、断じて。

_ 知るということについて

知るということは、決して幸福に繋がるわけではない。この世界は知らなかった方が良いことで溢れかえっている。

かの有名なSF小説に「アルジャーノンに花束を」という作品がある。主人公のチャーリー・ゴードンは知的障害を持っていたが、とある画期的な手術を受け、人並み以上に賢くなることに成功する。しかしそれと同時に、今まで気づかなかった周りの人間の汚い本性を、彼は知ってしまうことになる。やがて彼は周りの誰よりも賢くなり、そして誰もが彼のことを理解できなくなってしまう。

これは果たして、幸せなことなのだろうか?

もちろんこれは、事実の一面を強く全面に押し出しただけの、極端な例にすぎない。だからこの問いはある意味卑怯であり、たいていの人は「チャーリーは不幸だ」と答えることになるだろう。しかし、そういった事実があることを知りながらも、人は知識を求めて駆け回り、情報を集め、日夜勉強をし、賢くなることにやっきになっている。これほどまでに、知るということは、人が人らしく生きる上で不可避なものなのだろうか? 僕の疑問は尽きることなく膨らむばかりである。

ちなみに最近、ゴキブリにとって最適な給水所が、人間の歯ブラシであることを知った。

これを読んだあなたにはきっと、僕の痛みや苦しみが伝わったことだと思う。

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